動物の愛護掲示板過去発言No.6000-202111-104
Re:家畜とペット |
投稿日 2014年12月6日(土)10時41分 投稿者 プロキオン
ムクムク先生が仰られているように小学生にはキツイように思います。 「豚がいた教室」も舞台となった小学校は京都と言っても都会ではなく、山間地農村で小学校の児童たちの周辺では肉畜として出荷される家畜たちがいたそうです。豚の飼育を始めた教師にしても子供達が「出荷」を目にする機会が日常的にあったので、それを受け入れる事ができると考えていたようです。 でも、ペットや愛玩動物と同じ愛情をかけて育ててしまうと、そこには葛藤が生じてしまうことになりました。愛情という言葉で一括にされてしまいがちですが、肉畜として出荷されてしまう動物とペットとして人間とよりそっていく動物とでは、注ぐ愛情に相違があることを知らなくてはならないと思います。 こういうお話の際にいつも思い出すのが、藤子不二男さんの「ミノタウラスの皿」です。宇宙を旅していた主人公の少年がたどり着いたある星では、牛が支配しており人間が家畜として暮らしていました。主人公は客人として歓迎され、かわいい女の子が世話係として付けられ、その女の子の事を好きになってしまいます。 けれども、その女の子が肉畜として食べられることになってしまい…。 もう一つお薦めしたいのは、サンデーコミックの「銀の匙」です。受験戦争に疲れた主人公が進学した先の農業高校でおきるさまざまな事件の1つです。 兄弟同士の「おっぱい争奪戦」に破れてしまって発育不良になった子豚に相憐れむものを感じた主人公は、この子豚をりっぱな豚に育てようと考えますが、同級生の女の子達に名前をつけてはいけないと止められます。結局、「豚丼」という名前をつけることになりましたが、さて、主人公はその「豚丼」を出荷して肉として「食べる」ことができるのでしょうか?? 確かに人間が普通に食べている食材、とくに「肉」がどのようにして作られているのかを知る事は大切な事です。そこについては、なんら異論はありません。 ただ、食べられるために生まれてくる命とかわいがられる命との相違を理解して、自分の中で昇華できる力を誰しもが同じように持っているわけではない。また、その心の力をいつどのように得ることができるかというのも 一人ひとりにおいて違います。 小学生のときに、強制的にかつ一律に理解しなさいというのは、いささか乱暴すぎるように思いますし、「命について考える教育」としては、逆に相応しくないのではないかと。 もう少し、子供達の心の成長を待ってからで良いと思います。
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