動物の愛護掲示板過去発言No.6000-202111-106
Re3:家畜とペット |
投稿日 2014年12月8日(月)12時18分 投稿者 プロキオン
こんにちわ、チッチさん。 >鳥人の支配する惑星に不時着。彼は一人の鳥娘と恋に落ち、愛を育むのですが、それから何かあるんですね。連続する不運で状況が追い詰められていったのだったか、良く覚えていません。で、男の心は荒んでいき、暴力を振るうようになり、妻がただのチキンに見えてくる 宇宙編の牧村に関わる逸話ですね。ネタバレになってしまいますが、ちょっと話しの順序が違います。 主人公は「ある事情」で地球から宇宙へと旅立ってしまうわけで、その事情のために荒んだ生活をとり生き物を殺してあるいていました。そんな彼に穏やかな気持ちを取り戻させようとしてある鳥人が妹を主人公のもとへと行かせ、洋服についていた染み(地球の思い出)をきっかけに主人公に愛情が生まれ二人は結婚して幸せになるはずでした。 愛する妻に地球の事を知ってほしくて、鳥人につくってもらった思い出を映し出す機械。この機械によって、正確には「自分にとって都合のよい思い出」にそそのかされて悲劇を引き起こしてしまうことになります。 地球を捨てることになった事情と、妻である鳥人を殺すに至った理由というのが、どちらも主人公の心から発した問題であって、同じところにあったというのが、巨匠の描くところですね。妻だけでなく鳥人達や他の命の殺戮という生命に対する罪に対して、根源的な生命は彼に対してある罰を与えます、それが宇宙偏のお話です。 もっとも、宇宙偏においても彼は2人の地球人の運命を変えてしまうことになってしまいますが。 「ミノタウラスの皿」は短編ですが、食べられる側の食用の人間が自らが食べられてしまうということについて自分の意思を持っているというところが、新鮮でした。 この作品は、子供の時に読むのと大人になってから読むのとでは、ずいぶんと違った印象を受けるるのではないかなと思っています。 異星人は鳥に似た外貌をしている、鳥ならば、チキンならば食べてもよいというに至る思考が手塚治虫が主人公牧村のために用意した理屈であって、それは看過できない罪として罰をも用意していたことになります。 「ミノタウラスの皿」では牛の姿をした異星人が登場するわけであって、文明や文化を持っていれば食べてはいけないのか、文明・文化を有していなければ食べてよいのか? 「何をもって分かれるのか」「どこをもって隔てるのか」という問いかけが生じてきます。 小学生が自分達で飼育していた豚を肉畜として出荷する際に、ここまでのことは教師も児童も考えないと思いますが、「何故、食べてよいのか」という納得できる理屈を教師は提示してあげることができるのかな?と思います。 いきなり、身近な動物の死を突きつけられてしまえば、拒絶反応がおきるのは当然のように思います。私の友人のある獣医師は、子供頃に鶏をしめる現場を目にしてしまい、それ以来肉は死ぬまで口にしていません。 よく獣医師になれたなと思われるかもしれませんが、より多くの命を助ける側に回りたいという気持ちがあればこそかもしれません。
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