今年の事件から「シルフィー 3ヶ月の療養の末死す 」
2005年8月報告 中川美穂子
西東京市立保谷第2小学校では 4年生が総合に位置づけて飼育活動をしています。
ウサギが3羽、チャボが5羽います。
チャボはイエローとシルフィーの夫婦とその子のアレックスとブラッドとホワイティです。
一年間の飼育が終わりにちかづいてきた3月、子どもたちから「シルフィーの顔色が悪い」と訴えがあり診療しました。確かにいつもピンクだった顔色が白っぽく、かつ少し動くと青くなって肩で息をしていました。
レントゲン検査で、胸の中に何かがあり、空気が入るところが狭まっているのが分かりました。
2週間の投薬後もその「何か」は大きくなる一方で、血液検査などを考慮すると腫瘍が疑われました。
それで、4年生のこどもたちに病状の説明をして「もう直らない。1ヶ月も持たないかもしれないので、シルフィーの最後の時をどのように過ごさせて、送ってあげるかを考えて」とお願いしました。子どもたちは黙って目を見開いていました。
その後、シルフィーは毎日教員室に入れてもらい子どもたちが世話をしてくれて、温かい日は数時間だけ飼育舎で家族と一緒にすごさせてもらいました。子ども達はシルフィーのためにいろいろ工夫し、ある時「子どもたちが、淋しいだろうからと、教員室の籠にチャボ達の写真をシルフィーが見えるように貼っている」と、校長先生が、「うちの子達かわいいでしょう。涙が出ちゃう」と教えて下さいました。
やがて新学期、新4年生が飼育を引き継ぎました。シルフィーの世話はそのまま新しい校長先生も了解して続けられ、1ヶ月と思った命も丁寧に扱ったためか、なんとか生きていました。
6月中旬、SOSがあり、駆けつけると玄関の廊下で子ども達のまん中にシルフィーが危篤状態で倒れていました。その日は温かかったので飼育舎に出していたのですが、急に気温が下がったのが悪かったかもしれません。
虫の息だったシルフィーをみて、「一日預かるけど、もう死ぬかもしれない」と告げると、こどもたちにショックが走り「僕 シルフィーのために何ができるかな?」「何してあげたらいい?」と、落ち着きません。
「家族に見せてあげよう。でも大勢はだめよ」・・「うん、イエローを連れてくる」
「5年生も去年可愛がっていたから、知らせないと悲しがるよ」・・「知らせてくる」
すぐに 子どもたちは走っていきました。
「ほらおまえの妻だよ」と連れてこられたイエローは、夫らしくシルフィー寄って見つめ、シルフィーのそばの子が動いたとたん、ギロッとその子をにらみました。ためしにシルフィーを別に移すと、やはり方向を変えてシルフィーの前に寄って見つめます。「やっぱり夫だね」「今日はシルフィーは入院するからね」とそれなりに子どもたちは感じているようでした。
次の日、なんとシルフィーは立って食べることができるようになりました。たまたまその日は、獣医師会の学校定期訪問日でしたので、獣医師3人での飼育学年(4年生)への授業支援があり、その中で、子どもたちに厳しい状況と対応の仕方を説明しました。また昨年担当だった5年生にも説明しました。中には菊の花を親御さんから預かってきた子もいましたが、立って食べているシルフィーにほっとしていました。
しかし、10日後、朝 警備員さんが教員室のシルフィーを一人で看取りました。
後日、獣医師は解剖した結果を持って、子どもたちに説明に行くことになり、担任は「お別れの会」を計画しました。作文を読んで、歌を歌ってあげる計画でした。でも、歌は無理だろうとの獣医師の助言で、取りやめました。
内臓の写真を見ながら解剖結果を聞いている時、子どもたちは一言も発せず身じろぎもしませんでした。その後、かたい顔をしながらシルフィーの遺体を手から手に友達全部に回していました。とても作文を読んだり、歌を歌える雰囲気ではありませんでした。
また、5年生にも遺体を抱いてもらったようです。後日、5年生にも内臓の写真を見せて、説明する予定です。
夕方、先生が病院に連れてきたシルフィーのお棺には4年生と5年生が書いたシルフィーへの手紙もいっぱい入っていました。
手紙には「3月にもう直らないと聞いて、覚悟はしていたけど、悲しみを隠せなかった。」などと書いてありましたが、大方は、「病気と聞いたときはショックだったけど、3ヶ月も生きてくれてありがとう。」「楽しい思い出をありがとう。」「苦しいのに頑張ってくれてありがとう。いなくなって淋しい。忘れないよ。」というものでしたが、中には、「2年間可愛がっていたのに、あれはてた姿になって残念だ。僕が医者になってどんどん直してやる。」と、獣医師の胸に刺さるような手紙もありました。また、「鶏が怖くて掃除が嫌だったけど、病気になったとき、強いものでも心は弱いと気づいた。それにその後の掃除の時、怖いと思っていたけど目を見つめたら「大丈夫」と言っている気がして怖く無くなった。あの時、どんな魔法をかけたのだろう。ほうきでたたいてごめんね。残った鶏達は大事にするね。」という手紙がありました。
動物を飼った経験のある人は、楽しかった体験をくれたシルフィーに感謝し、また苦しいのに頑張って生きてくれたことに感謝して、「ありがとう」という子どもたちの言葉が多いのを理解できます。が、先生の中に「なぜ、どのクラスでもありがとうが、一番多いのだろう」と、首をかしげておられたのが、私にも新鮮な驚きでした。
なお、先頃4年で、ある班の掃除の仕方が悪いと、クラスの話しあいで他の班から責められた事件がありました。次ぎの日には完璧にきれいになったそうですが、後日責められた子どもたちが「あの時はひどい掃除だったな」と、自分たちで言っていたそうです。しつけや道徳のために掃除をするのではなく、そこにいる動物達がかわいそうだから、きれいにしてあげる、という「こどもたちの愛情をかき立て、庇う気持ちにさせる動物たちの存在」が、様々なハプニングで子どもたちの心の襞を動かし育ててくれるのが、とても貴重だと思っています。
この学校では3年前から学年飼育を始めていますが、係わった6年生も5年生もとてもしっとりして優しい学年になっていると、先生方はおっしゃいます。今の4年もきっとそうなります。
肩で息をしながら頑張っていたシルフィーの遺体に、「苦しかったね。楽になった? 天国でも元気でね」と言える子達ですから。