アラップを知ったのは近くに住む友人の家が火事になった時だった。

病院から電話があり、自分は火事で入院した。母親が亡くなってしまった。

動物達が心配だけど自分は動けない、動物を助けて欲しいと言う事だった。

すぐに友人の病院に預かって貰えるよう手配した。

犬も猫も数頭づつ飼っているお家で、繁殖などもプロ級のご家族だった。

二三日して、また連絡があった。

猫は三匹居たが二匹はすぐ捕まり病院へ預けられたが、一匹だけ餌は食べに来ているらしいがどうしても捕まらないと言う。

それで彼女の家にすぐ飛んでいった。

「アラップ、アラップ」とあちこち覗きながら声を出して呼ぶと「ニャー」と真っ黒い子が塀の上から覗いた。

「アラップおいで」と言うとすぐ側に来て抱っこされた。これがアラップと私の初対面だった。(^o^)/

アラップの長い毛の先は全身がチリチリと焦げていて、しばらく焦げくさい臭いが抜けなった。

さぞかし熱かったろう、恐かったろうと思い、無事を感謝した。

細かい事情を聞けない状況だったので、取りあえず友人の病院へ預けた。

家に帰るなり友人から電話があり「一緒に暮らしていたから良いと思って、同じケージに入れたらすごい喧嘩で血だらけだ、どうする?」

と言うことだったので、あわてて戻るとアラップは怪我をしながら怒っている。<`ヘ´>

仲が悪いんだと初めて判り、仕方ないから家で預かると言って、連れて帰ってきた。

我が家はどういう訳か母が最初に心臓の手術をした時から黒猫が来る。

初代クロベーから毎回クロベーが続いた。

この子が来れたのは、丁度先代のクロベーが老衰で亡くなった後だったので、珍しく誰も居なかったので我が家でも良いと思った。

アラップは元々トルコで生まれ、若いトルコ大使夫婦が一緒に日本に連れてきた子だった。

トルコ大使館はその頃(今は知らないけど)渋谷の方にあったらしい。

若いご夫婦は東京で赤ちゃんが出来たそうで、その子にかかりっきりになったらアラップは焼餅を焼いて家出をしたそうである。

探しても見付からず諦めていたら、その頃はまだ日本に一匹も居なかったトルキッシュアンゴラと言う種類の猫だったので目立ったらしい。

宇田川町で野良猫のボスをしていると言う情報が入って早速捕まえに行って、ついに捕まったそうだ。

でも赤ちゃんに焼餅を焼いているのでどうしても同居は無理だという事になり、大使館の知り合いだったその友人の家で預かる事にしたらしい。

そこの家は広いから、アラップは後から来たので誰とも相性が合わなかったらしいが、お互い避けていたらしい。

遊歩道の側の家で、周りは植木屋さんの庭が広く有ったのでどうも外にも行っていたのではないかと思うが、家出はしなかったらしい。

そんな事情だったので、彼女が退院し、家も直ったら帰れば良いと思い預かっていた。

アラップの不思議は目の色だった。綺麗な緑色の時と、綺麗な橙色の時がある。一瞬どちらがいつもの目なのか判らなくなる事があり「えっ今の目の色っていつもだったっけ???」と言う事で何回も確認した。どういう時に変るとか、陽射しのせいとかではなかった。これは楽しかった。(@_@)(@_@)

   

最初、アラップが居なくなったのは外に出して行方不明になると責任重大だと思って全く出さなかったのに姿が見えなくなった時でかなり焦った。(ーー;)

開いていたのはベランダだけだから三階から飛び降りる訳もないと思って油断していた。

まさかとは思ったが、ベランダから下を見るとアラップが居る。

絶対落ちたのだと思って吃驚して、下に飛んで降りて行き、抱っこして帰ってきた。怪我はないか調べたけど本人はケロッとしている。

そして我々が見ているのを確認してからベランダに行き、前に植わっていた棕櫚の木にさっと飛び移り、降りてしまった。

   

棕櫚の木は、ベランダからはかなり離れている。いくら猫でも失敗したら怪我をすると思って、どうせ出るのならと廊下側の窓を少し開けることにした。

毎年冬になるとそれは本当に寒かったが、アラップの為にみな我慢した。(・_・;)

アラップはそのうち時間を決めて出て行くようになった。

朝早くは近くの女子高校生が通う時間で、皆に「きゃーかわいい」なんて言われるのが楽しくて癖になったようだった。

後は夕方高校生の帰る時間、今度はゆっくり撫でて貰えるのが楽しかったようだ。

色々な人がマンションの入り口でのんびりしているアラップを見て、遊んでくれていた。美味しい物も貰っていたようだが決して捕まらないようだった。

宇田川町でボスをしていたくらいだから、世長けていたようで、この分なら大丈夫かなと好きなようにさせていた。

一回、入院していた彼女が病院から退院した時に連れて帰った事があった。

(これは裏話だが)やはり他の子と一緒になったら、合わなくてほとんど家に帰って来ないと言う。

それで、一言アドバイス「家の傍に捨ててって良いよ」って言ったのは私。(^^ゞ

誰にも内緒で捨てていったら、我が家に帰ってきた。(^_-)-☆

たまたま我々が居ない時だったので、同じマンションのおばさんが「窓が閉まって入れなかったから開けてみたら開いたから、そうしたら勝手に入って行ったから」

と言うわけで大成功!(^_^)v

父も母も遊歩道をずっと歩いてきて偉かったね〜と誰も何も言わないのに、自分達で納得していたので、そうそうと同意した。

   

晴れて正式に我が家のアラップとなった瞬間でした!

その後はマイペースでのんびり生きていた。その頃住区便りのお話が来て、父はアラップの事を書く事にした。

http://www.vets.ne.jp/~sutemaru/member/shousetualap.html

最後の日は今まで一回もないくらい珍しい九州から母の兄弟が尋ねてきた。

アラップはその方が家に入る時、入れ替わりに出でこちらを振り見た時に

「アラップ、いいの?閉めちゃうよ」と声をかけた。

一瞬、アラップはこちらに来ようとしたが、目を向けながら出かけた。その一瞬を今でも忘れられない。

別れを察したかのようにその時思えた。まさか車に惹かれるとは思わなかったが、それまでに既にかなり老齢であちこち色々な障害が出来ていた。

どんなにガタが来ていたかは、もしかしたら今年が最後かなと言う年越しを非常に感じながらこの数年、老後を送ってきていた。

だから、事故が無くても、この一年は生きられなかったかもしれないと思っていた。

後で教えてもらった事だったが、

アラップは可愛い彼女が夜抱っこで散歩する事を知っていて、良くその子が通る頃道端に居たそうだ。

アラップが轢かれた時に最初に見つけてくれたのもその方だった。

家の子と知らない時から会っていた様で、亡くなった時には近くの方に私の家の子と聞いて連絡をしてくれた。

知らなかったので箱に綺麗に寝かせた後だった。

場所を聞くとそこには血の跡があり、目黒通りを渡ろうとしてアラップも黒いし夜だし車には見えなかったとも思う。見えても引き返さない猫は良く轢かれる。

正月の二日だったから車の通りが何時もよりぐっと少ないから渡れると思ったのかもしれない。

もしかしたら目黒通りの向こうに可愛い彼女を見つけたのかななんて言っていたけど、彼女は目黒通りのこちらに居たのですものね。

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