獣医師広報板ニュース

意見交換掲示板過去発言No.0000-200106-57

pc.nomuraさま 長文失礼
投稿日 2001年6月4日(月)04時11分 はたの

過去ログご参照くださっての再レス、感謝いたします。
 私自身、すべての書き込みの日時を把握してはおりませんで、日時をお知らせしなかったのはイジワルによってではありません。が、今回、私自身が過去ログを持ち出したわけではありませんから、探し出す責任は私にはなかったものと考えております。論じたいかたが探されればよろしいので。

>ストレスをかけてもいいから徹底的に洗浄する。とありますが現場において誰がどのような指揮系統で指示したのでしょうか
>また、正式にガイドラインが作成制定されていたのであれば関係省庁名と所掌を教えていただきたいと思います。
 現場におられたpc.nomuraさまのほうがきっとお詳しいのではあるまいかと存じますが、少なくとも私は、「正式なガイドライン」およびその所轄を存じません。それが「なかった」ことが問題だ、そこに批判と改善の余地があろう、ということです。また「ストレスをかけてでも徹底的に洗うべきであった」というのは、正確には出典を覚えていませんが、当事者によって、災害の直後だったか、その後研修に行ってだったか、講師を呼んでだったか、「当初は多くの意見があって混乱したが、『徹底的』に洗うほうがよいのだったなあ、最初からそうしていればもっと多くを救えたになあ」との発言に依ります。
 誤解しないでいただきたいのですが、ある行為(発言含む)への批判は、その行為者の人格への非難とは無関係です。私自身が自らの行為を振返る時、同一人格ですから、気が緩んでいたのを後悔するような時を除いて自らを非難するのは困難です。が、自らを批判はできます。その時の自分の知識において最善の判断をくだし、最善の処置をとっても失敗することはあります。最善を尽くしても、失敗したからには改善の余地があり、改善の余地は批判の余地でしょう。あらゆる面において私は「現時点での世界最高水準の知識や技術」を持っておらず、常に批判の余地があります。仮にそれを持っていても、それが完璧でない限り、批判の余地があります。ナホトカ号災害に際しても、当事者のレポートを読む限り、当時、当時の世界最高水準の処置が完璧に行われたわけでないと思われ、かつ完璧に成功したわけでもないようなので、批判の余地ありと考えます。これは当事者の人格への非難や責任追及とは全く別です。そしてその際、「経験」が批判する資格になるとは思っておりません。もし「経験」を資格とすると、自由な批判とそれによる改良圧力が損なわれるでしょうから。「現場にいなかった者は批判してはいけない」ことになると、機密費の使い道について国民は批判できないことになります。ほとんどの国民は「外交の現場の苦労」は知らないのですから。
 私の批判の内容にたとえば事実誤認があるなら、それをご指摘くださいな。新たな知見を得たことを感謝し、考えを修正し、その旨言明しますから。

>はたのさんが書いた文章によると「自分ならもっと上手に洗浄することができる。」という技術的な自信があると受け取られます。
 具体的に、どんな表現を私はしていましたか? 印象批評はご勘弁願います。具体的にどうぞ。「はたのはこう書いている」というように。
 私には「もっと上手に」はできないでしょう。けれど世界には「もっと上手に」できる人々が当時にいたのではありませんか? さらに、当時の洗い方は「もっと上手」が在りえないほどの完璧さではなかった、だから、あの後、「もっと上手な」ところへの研修などが行われているのでしょう。そして、現在「世界最高」の方法論にしても、おそらくは完璧ではなく、つまりは改善の努力が為されており、つまり批判の余地ありでしょう。

>また、コノハズクに対する給餌方法についてもご自分の意見と方法が相談者に対して絶対だ。とも受け取られました。
 厳しく言えば、「pc.nomuraさまがどう受け取られたか」は無意味です。はたのが、日本語として当然に「『絶対』と受け取れる」ように書いたかどうかです。ご批判くださるのなら、それをご指摘くださいな。
 
 ごく単純化していえば、「意見」は3段論法を採ります。例。あくまで例です。
1 治癒可能性のない動物はむやみな延命治療をすべきではない。
2 「ナントカカントカ病」には治癒可能性がない。
3 「ナントカカントカ病」に罹患した動物にはむやみな延命治療をすべきではない。

 1は意見の持ち主の死生観に関わることで、他者が何かを指摘するのは微妙で困難なことが多いでしょう。しかし、「スパゲティ症候群」に対する「QOL重視」のようなパラダイムシフトも在り得るわけで、「重油汚染された鳥をそもそも救うべきか否か」もまた、批判を禁ずる対象にはなりますまい。QOL重視へのパラダイムシフト以前、QOL重視の立場から見れば「無意味な」延命治療があり、それに疑問を感じた医師が当時は非常に発言しにくかったと伝えられる状況をご想起ください。延命治療への批判を禁じる雰囲気が(QOL重視論からみれば)無意味な苦痛を産み出したわけです。こうしたバラダイシフトの提案は(発言者が私あろうとあるまいと!)常に有意義とは限りません。が、これを封ずるのは健全とはいえますまい。
 2は、でも、もし意見の持ち主の認識が間違っていれば、簡単に変わります。「ナントカカントカ病」には昨年治療薬が出来た、という事実を他者が指摘すれば、1はそのままで、3は変わるでしょう。
 実際には、2の事実認識について論が分れるわけですね。「治療薬ができた」と書いてある論文の信用性を巡って、とか。母集団の数は、その選び方は、著者や雑誌の信頼性は、等々、デジタルでない「評価」が絡みます。
 コノハズクについて言えば、1は前提として共有されていました。取りあえず救命、と。ここにも本当は議論が在りえます。自然界からの落伍者はそのまま死なせるべきという考えも在り得るので。が、まあ、ここは素通り。
 2の詳細について論が分かれました。「強制給餌と生き餌のどちらが良いか」が当方の企図した論点では「ありません」。この場合についてどちらがマシか、あるいどちらかを選んだ時に成功率を高めるためにはどんな注意を払うべきか、です。どちらにも、その方法論をとる限り不可避な構造的な欠点と利点があり、これは動かせません。強制給餌においては、何を食わすにしても「人が押し込む」ことは避けられず、「生き餌」であれば、「鳥の自由意志に頼る、そこらで売っていない」わけです。しかし付随する諸点についてはさまざまな対処法が在りえます。強制給餌の「誤飲」の回避にはレバーでなくハツを使う、とか、生き餌の「生き餌の逃走」については適した容器を使うとか。
 なかなかに手間がかかる思索であることは認めますが、「そこに改善の余地がある限り」、批判によって、方法論の欠点を少しは減らせると考えています。そして可能な限りブラッシュアップしたやり方同士を比較するのがよく、詳細抜きに方法論を比較してもしかたがない、と。だから、自分の意見については、批判を期待して(具体的に批判されれば改善できるので)「こういう理由で」こうしていると書き、他者の意見については「あなたの意見にはこういう欠点が含まれており、私にはこのような対処法しか思い付かず、それにはこのような困難が伴うと思うが、提唱者たるあなたはどうやってその欠点を回避してますか、伴う困難を含めてもあなたの方法論はトータルで優れているとお考えですか」と問います。この詳細に渡るやり取りへの意志を「押し付け」と取られるのは残念ですが、他者に「最後まで付きあえ」と強制できないからには仕方ありません。恐らく、最後まで意見交換を続ければ、「給餌の難易度」「餌の入手の難易度・所要時間と緊急度」「与えられる栄養量」「摂食確認の難易度」というような、シロクロ付けがたいことが論点になり、ケースバイケースだろう、という暫定的な結論まで行けて、その後に、では、どういうケースでは何に高い優先順位をは与えるのがより確率が高いか、といった有意義な意見交換になったのでしょうけれど。そこへ至るまでの、いわば「議論における息継ぎの長さ感覚」の差によって、佳境までお付き合いいただけないことがあるのは残念至極ですが、佳境に至る前で頓挫したにせよ、コノハズクを巡る意見交換は私には楽しいものでした(意見と人格は混同いたしませんので、意見を批判されても別に不愉快になったりしませんから)し、勉強になりました。次の機会に生かせると思っています。「強制給餌はそう困難ではない」との私の判断は、知人や自分が多くの場合初回からうまくできたことを材料にしていますが、むろん大規模な統計に基づくものではない感覚ですから、常に修正の用意あり、です。異なった母集団を扱った経験のあるかたが「困難」と判断されるのであれば、無視は致しません。ただ、単に扱った経験おありとの言明のみで、その理由の詳細については意見を戴けなかったのは残念ですが。前記例の3のみを強調されては、詳細は分からりませんからね。私が強制給餌の優位性の理由と考えている前記2に相当する部分についてのご指摘はいただけなかったわけで、全体としての意見に変化はないものの、意見交換によって、オプションとしての生き餌の使用は考えるようになりましたし、付随するデメリットをどう回避するかについても思考実験ができました。強制給餌と生き餌をうまく組み合わせられないだろうか、とも。
 
 繰り返しますが、こうした詳細にわたって突き詰める意見交換は、別に意見の押し付けであるとは考えません。意見と人格は別物と考えるもので、従って、押し付けようがないわけです。少なくとも私は、親しい人との間で意見の差があり、激論を戦わすこともあります。この時には相手の意見の論理のズレや論拠の弱さを容赦なく突きますし、自分の意見についても「欠点あるならそこを突いて」とさらけ出します。私とは別の見方によって私が気付かない欠点が指摘されるのを期待して、です。ナホトカ号ほどの大問題でなくても構造は同じ。鵜の目鷹の目で批判的にあら捜しするほうが、細かな欠点を見つけることが出来、結果として(前記1もあるので最終的にどういう意見に落ち着くかは別として)、それぞれの意見が改良される度合いが増すだろうと期待するからです。そして意見と人格を混同しない限り、激論によって相手への愛情や友情や信頼が壊れることはないと考えます。「あなたの意見のこはこういう理由で誤りである」と言明するのはそれだけの意味であって、「あなたが嫌いだ」ではなく、意見の押し付けでもありません。この、「意見と人格を切り放して意見交換する」そのプロセス自体に心理的抵抗を感じられるかたがおられるらしいのは非常に残念ではありますが。

>私が自衛隊出身だからといって旧軍の戦略・戦術について意見を求めるような方法も場違いではないでしょうか
 この点、誤解しておられます。例えは論理構造を示すものに過ぎず、そこで扱われている表象に重要性があるわけではありません(だから「もし私が鳥だったら」というたとえが成り立つので)。pc.nomuraさまが自ら自衛隊員であられた旨書き込まれたので(そして私は自衛隊員への偏見や軍事アレルギーはないので)、旧軍のたとえを持ち出したに過ぎません。古代ローマ帝国とか近年倒産した某企業とか某企業とかを例として持ち出すよりも共通理解の点でよかろうと思いましてね。pc.nomuraさまにビビッドに伝わらなかったの私の読み違い、例えの選択ミスですが、旧軍についてのご意見を求めているわけではありません。ご意見を求めているのは「当事者の苦労や思いを理由に、それを共有しなかった者が批判すること自体に反対する」考え方について、です。
 批判的なものの見方はより多くの問題点を指摘します。重油汚染された鳥の救護体制が不十分だったとの指摘は、その改善に役立ち得ます。「不十分なのなら改善のために公金を投入すべきだ」といった論の母体と成りえます。問題点が指摘されなければ、充分と思われ、改善が進みにくいでしょう。

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