獣医師広報板ニュース

意見交換掲示板過去発言No.0000-200110-78

REリスクの定量化?
投稿日 2001年10月7日(日)18時38分 はたの

まず最初に。
>私が扇情的に不安を煽っているという意味での発言であれば、それは率直に発言して下さって
>結構です。私も気にはしていますので。
 プロキオンさまが気になさっておられるのは伝わってきますし、そのご方針に賛成です。

 しかし、その先がよくわからないのです。
 
>>必ずしもきちんと計算できるとは限りませんが、可能な範囲でリスクを定量化して、
 と書いております。
 たとえば軍事的なリスクもきちんと計算はできません。ゼロではなし、無限大でもなし。これも結果論でしか検証できず、しかも、「ある手段をとった結果」しかわかりませので、永遠に計算は不可能でしょう。けれど、粗雑にでもいから定量化しようとする以外に、対策の妥当な程度は決めようがありません。むろん、きちんと計算的ないからには、リスクの大きさについてもどの程度の対策が妥当かについても、議論によって決着しませんけれど、でも、F15をもう1000機というのは過大だろう、自衛隊全廃は過小だろう、といった大ざっぱな枠組みは可能と考えます。地震予知、水害対策なんかも同様ですね。各論はあれど、枠組みとしては費用対効果の視点が不可欠であり、そのためのはリスクを量的に把握せざるを得ません。

>今、ここでこの対策に費用を投じなくて いつ何に投じるというのですか。
 投じないべきだ、とは申しておりません。が、どのぐらいを限度に投じるべきかは、粗雑でいいし、しばしば修正されてもいいけれど、考慮されるべきだ考えます。

>今は感染発病者を出さないことに全力を投じるべき時期なのです。
>こちらから優先してとりかかって欲しいと考えるのが普通です。

 「全力」とは何を意味されますか? 30兆円、100兆円でもですか? 国家予算のすべてを狂牛病対策に使うべきか? そうではありますまい。現実的に不可能なことは意味しておられないでしょう。
 「優先」するのは賛成です。最優先も。が、全エネルギーを一点集中すべきとはお考えではありますまい。道路や橋への重みづけを減じるべきとのご意見には賛成しますが、環境対策や狂牛病以外の医療・保健に関する政策全部を完全に中断すべきと考えではないでしょう?

 と、結局、「全力」の範囲はあるわけです。「優先」にしても、その程度は限られるわけです。狂牛病に10、その他は全部ゼロ、ではないのなら、狂牛病に何割、他のAに何割、Bに何割・・・となり、狂牛病対策に使うためにどこから幾ら削るか、あるいは国債発行高を増やすのか、といった議論が必要でしょう。
 そうした範囲や程度を考えるときに、リスクの有無ではなく「量」を考える必要は生じるではありませんか。
 繰り返しますが、今回の狂牛病がたいしたことはない、などは申しておりません。詳しくないので、たいしたことなのかたいしたことでないのか判断できません。だからこそ、「どのぐらい」の大事なのか、知りたいわけです。それによって、自分の生活もかわります。政策についての意見もかわります。牛肉全般を食べないという選択肢もありますし、リスクと好みを計りにかけてリスクを引き受けて食べ続けるという選択肢もあります。遺書を書くという選択肢だってあります。完全菜食になるというものも。リスクの程度や量がわからなければ選択のしようがありません。これは政策をどう評価するか、次の選挙でどう行動するかについても同じことです。
 
>今がどれだけ大切なときなのか理解していません。
 私の理解の程度を他人様に断定される謂われはそもそもありませんが、それは置くとしても、こうした論法には危惧を抱かざるを得ず、「煽っている」おつもりがなくても、それに近い効果が出ているのではないかと心配になります。
 今回は特別、という論法は危険ではありませんか? 以前の書き込みで超法規的措置に言及しておられ、実際、政策もそれに近いカタチになりましたが、これについても危機感を抱きます。大津事件とよど号ハイジャック事件を対比的に想起します。あるいは戦前の軍部も同じ論法を使ったことを。国民でなく行政自身が法を意図的に破ることは、そう軽々に行ってよいものでしょうか?
 国家が国民を産むわけではなく、国民が集まって国家となる以上、国家の定める法のために国民が存在するわけではない、ことは明らかで、あるレベルを越えた危機に超法規的措置がとられるのは当然です。が、他方、危機を行政が過大に言い立てて超法規的措置をとり、あるいは行政のエネルギー注入が1分野に偏りすぎておかしくなった経験を私たちは持っています。そのリスクもまた、狂牛病のリスクと比較されるべきでしょう。
 なればこそ、今回の危機の「程度」、「今の大切さ」の度合いが、粗くてもいいから、量的に考えられるべきではありませんか。
 プロキオンさまご自身「どれだけ大切」と書いておられます。「どれだけ」には量や程度の観念が含まれていると読めますが。
 
 もし、今、手をこまねいていたら国民の7割8割(数字については各論ありましょうが)が死ぬ、というのならば、超法規的措置を是とするむきは多いでしょうし、他のすべてをうっちゃってことにあたるべきでしょう。法治主義、民主主義と引き換えにしてもよいのかもしれません。
 もしもそこまでいかないのであれば、行うべき「全力」もおのずと限られたものにならざるを得ないでしょう。必要な対策の前に法整備を行い、保健衛生分野の他の課題や、他の分野の課題とのバランスをとることが必要になります。

 煽ることにならないか気にかけておられるからこそ伺いますが、リスクの量や程度に関する情報なしに(繰り返します。粗雑でも、しばしば修正されるとしても)、私たちが、自分の暮らしかたや、行政の対応を冷静に判断することは可能でしょうか?
 「背割りだと、いままで安全とされていた筋肉にもリスクがある」という情報は貴重ですが、冷静な判断をするに足りますか(付言しますが、プロキオンさまご提供の情報に量的なものが含まれていない、と不満を述べているわけではありません)? 左記は、感染リスクがゼロでないことを表してはいますが、感染リスクが100パーセントであることは表していません。つまり、0から100の間のどこかのはずです。この「どこか」こそが冷静な判断に必要なのです。
 解体方法を変えるぐらいならば、たいしたお金はかからないのかもしれません。量的な情報なしに妥当な対策がとれるのかも。が、プロキオンさまご自身が書いておられるように、「肉を食べるか食べないか」というところまで発展し得る問題、行政や国民生活に大きな変更を強い得る問題であればこそ、リスク要因aの大きさはこのぐらい、幾らかけて対策Aを取ればaはこのぐらいに減る、要因b対策B、cとCは・・・というように、量的な情報が必要ではありませんか。
 そして全体として幾らかければこのぐらいの効果が見込める、との費用対効果が重要ではありませんか。小さなことなら費用対効果が悪くても税金の無駄遣いを怒る程度ですみますが、大きなことであるならば、費用対効果の悪さは国を壊しかねないのですから。
 費用対効果を考えるべきでない、というご主張は、無駄遣いを気にしなくてもいい、と同じことですが、本当にそう主張されるのですか?  「全力」「優先」には、無駄遣いを防ぐマネージメントは含まれませんか?

 むろん、プロキオンさまが、対策にあたるべき専門家・関係者の一員としてご発言なら話は別です。ある分野を限定的に担当している者が、与えられている範囲で全力を尽くすのは当然ですし、際限のない予算や権限の要求をするのも一理あり、職権に忠実でさえあります。別の分野の担当者もおなじ主張をするわけで、おのずと妥協が生じますから。が、1国民として全体を見るのであれば、狂牛病だけに行政の、あるいは行政と国民あわせた国全体の「全力」を費やすべきとするのは冷静な態度とはいえないでしょう。

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