意見交換掲示板過去発言No.0000-200406-190
「お互い譲ろうよ」というのが |
投稿日 2004年6月16日(水)21時27分 投稿者 はたの
「お互い譲ろうよ」というのが基本的な考えです。 もしもお題が「公園の水飲みで自分のイヌに水を飲ませているが、批判された/視線が痛い」であるならば、 「私(=はたの)は気にしないし、気にするのがヘンだと思うが、気にする人もいる。徹底的に争うべきと思うなら争えばいいが、そうでないのならシェラカップぐらい持っていけば」というような意見を述べたことでしょう。 他方、今回のようなお悩みなら、ああいう答えになるわけです。 お互い譲りあえるのなら、38度線をはさむ非武装地帯みたいに、角突合せなくてすみますから。 しかし、これとは別に、社会病理的な潔癖症ないし不潔恐怖症、また無意識なそれと深く関連する差別意識を憂慮するものです。また、傷つく弱さを是とし、傷つける強さやタフさや鈍感さを悪とする風潮にも危うさを感じています。 そう思う人、感じる人がいるから・・・というのは理由になりません。そう思う人が多いからといって差別は正当化されません。たとえば関東大震災における朝鮮人へのデマと虐殺、根にはケガレ思想があり、それに基づく差別意識が多くの日本人に共有されていたのがすくなくとも理由のひとつでしょう。だからといって是とはいえますまい。そう感じてしまうのをどう自制するか(役所に文句言ったりしない)が問われているように思います。イヌに対する反感が、イヌそれ自体が嫌いというのならハナシは別ですが、「清潔・不潔と感じてしまう軸」に無意識であれ乗っているのであれば、ヒトに対しても簡単に援用される恐れがあるからです。 地面に落ちたオニギリを食えないは、悪い意味での弱さであり、悪であろうと考えます。そういうヒトがいるからその基準に合わせるべきとは思いません。そういうヒトが強くなればすむことであり、そうした弱さを認めることが、たとえば大変おいしいのに形が悪い野菜が流通しないといったような環境負荷にもつながるからです。 タフであって損することはありませんし、繊細さとタフさは両立しないわけでもありません。 |
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