意見交換掲示板過去発言No.0000-201501-112
Re2:豚のいた教室について |
投稿日 2015年3月31日(火)11時03分 投稿者 プロキオン
「豚のいた教室」はたびたび話題にとりあげられますね。でも、このお話は背景がすこしばかり違っているようです。 実話では確か京都のことだったようなのですが、舞台となったのは山間の農村であって、子供達の家々も農家の子が多く、普通に家畜を飼育していて出荷も日常の一こまにすぎなかったのだそうです。そういう環境であったので、教師も子供達が豚の出荷を問題なく受け入れることができると考えてしまっていたようなのです。 そして、肉畜として手塩にかけて育てるのと、ペットとして可愛がるのとの、愛情のかけ方が異なるという点を混同してしまったために子供達を追い込んでしまったことになります。 簡単に言ってしまえば、教師が「豚」の飼い方を知らなかったということになると思います。 それでも、映画や本になるのであれば、子供達の困惑や苦悩こそが一番のキモであって、家畜とペットではかける愛情が異なるという本質はあやふやにぼかされていた方がおいしいということになるのではないでしょうか。 映画では豚でしたが、同じ話は長野でも山羊でありました。ドキュメンタリーということである教師が小学校で子供達に山羊の飼育を提案し、子供達の卒業が近づいて山羊をどうするのかという話し合いがなされました。 やはり、下の学年に引き継ぐという提案もでましたが、子供たちの中の1人が「次の年には、また同じことがおきる。飼い始めたのは僕たちだから僕たちが決めなくては」と発言して、教師の望んでいた結論に至りました。 まあ、放送を見ていて教師が話し合いを誘導している感はありましたね。この教師は赴任する前の学校でも山羊の飼育をしていたそうです。 家畜には名号はあってもよいけど、名前はつけるべきではないなと思います。愛情の混同が始まる起点になりかねませんので。 それでも、2012年のマンガ大賞に輝いた荒川弘さんの「銀の匙」の中では主人公の農業高校生は、同級生に名前をつけるのを反対される中で、子豚に「豚丼」という名前をつけて育てました。彼の場合は出荷されて肉になった「豚丼」をアルバイトのお金で買取り、肉としてまっとうさせてあげました。 このコミックの中では、獣医師に必要なもの(資質)として「殺す事(やれる)ができるかどうか」だと述べる一方で、殺したくないと思う人がいるから救われている命もあるとしています。ばんえい競馬でも成績が残せなくて肉にされていく馬達がいる一方で、大した成績が残せなくても葬式を出してもらえる馬もいたりと、肉畜として殺される側の気持ちがわかったらやっていけないであろう職業の人達がいて、そんな中でもそっと手を合わせる人の姿も描かれています。 「食育」なのか「命の教育」のつもりなのかは問いませんが、思いつきや生半可の気持ちで命を子供達の教材にはして欲しくありません。教師自身が充分な研鑽をつんでからにしてほしいと思います。 実際問題としては、思い付きであろうと研鑽を積んだ上であろうと肉になる豚にとっては同じことなのですが、せめて子供達にとっては肉嫌いにならないような配慮が必要ではないかと。
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