ペットロス(メモリアル ルーム)掲示板過去発言No.0100-200912-50
いったん |
投稿日 2009年12月9日(水)00時47分 投稿者 kayo
この事はいったんと私だけの秘密やったよね。 信じてもらえるかどうか判らないけど、今なら話してもいいよね。 そんな事あるはず無いよって思われても、今はそんな事どうでもいいと思えるから。 ペットは自分の死期が判ってるって言うの、あれほんまやと思う。 少なくともいったんは判ってた。 それから、いったんが死ぬ前に私が言ってた事ちゃんと理解してくれてたし、約束守ってくれたよね。 いったんが死ぬ前日に、家の晩御飯のおかずが唐揚げやったから、それを2個くらい残していったん所に持っていったよね。 もうずっと食欲無かったのに、唐揚げだけは美味しそうに食べてくれて、めっちゃ嬉しかった。 何でもいいから食べてくてたら、ちょっとでも長生きするって思ってたから。 でも毎日お母さんに唐揚げ作ってって頼まれへんから、次の日、学校から帰って来てから、スーパーに唐揚げ買いに行くことにしてん。 きっといったん喜んで今日も食べてくれると思ったから。 スーパーに行く前に、いったんに「唐揚げ買って来るから今日も食べてな」って声をかけて振り向いたら、足元にいったんの爪が落ちててん。 びっくりして、爪がもげたら痛いやろうって手足調べたけど、血も出てなかったし。 「痛ないの?」って何回も聞いたけど、平気そうやし。 だから、「いったんが死んだ後、この爪お守りで持っておくから頂戴な」って「帰ってくるまで待っとってな」って頼んでからら出かけたな。 まさか、それが最後になるとは思いもせえへんかったわ。 唐揚げ買って帰ってきたのに、いったんのお迎えがなかってん。 もう動かなくなってた。 息してなかった。 何べん呼んでも、揺すっても目も開けてくれへんかった。 まだ体は温かかったけど、抱き上げた時には体に力が入らなくて、私の知ってるいったんじゃなくなってた。 きっとぎりぎり迄、私が速く帰って来えへんかなって待ってくれてたんやんな。 ごめんな、間に合わなくて。 最後一緒に居てあげられへんかって、ごめんな。 あの頃読んだ本に、ヨーロッパではウサギの足がお守りになるっていう事が書いてあって、それを読んだ後、いったんにもそれを教えてあげた時やんな。 いったんに「足を切り取るんは残酷やらいったんが死んだら、代わりにいったんの爪をちょうだいな。お守りにするから」って頼んだよね。 いったんはその約束を覚えてて、自分が死ぬ直前に私に爪をくれたんやんな。 それやのに、爪を見つけた時はまさかいったんがあの時の約束覚えてくれてたとは思いもせんかって。 爪を見つけた時に、いったんのサインに気がつくべきやったって後で随分後悔したわ。 あれから20年以上経つけど、あんなに悲しんだ事はこれ迄なかったわ。 こんなに悲しいのに、なんで明日が来るんやろうって。 いったんがおれへんのになんで私の時間は進んで行くんやろうって、毎日泣いて泣いて泣いて。 涙って枯れる事が無いね。 あの日から私は食べた物を吐くようになっちゃった。 食欲が無くなって日に日に弱っていくいったんを看てたからかな。食べた後に吐いてるなんてお父さんにバレたら「情けないって」殴り倒されるから、こっそりトイレとかお風呂で吐いてた。 今でも、あれからずっと、吐くことを止められずにいてて、ごめん。 その頃は摂食障害とか、ストレスとか、ペットロスなんて言葉が一般に使われるずっと前やったから。 バイトで貯めたお金でいったんを宝塚に入れてもらったよ。 天野先生に、いったんが食欲無くなった時に、病気でも食べさせやすいご飯とか工夫すれば出来るって言われたけど、その時の私はそんな知識無かって、なにもしてあげられへんくって、ごめん。 だから、もし誰かが病気になったり食事制限しないといけなくなった時に自分で工夫できるようになりたいって思って、食物の勉強をしようと、短大では家政科の食物コースを選んだよ。 いったんのせいで、短大受からんかったって言われたら嫌やから、勉強も頑張ったよ。 いったんを宝塚に入れてから、毎日寝る前に、その日あったことをいったんに報告してるね。 もう、20年以続けてる。 意味無いかも知れないけど、届いてないかも知れないけど、これからもずっと話させてな。 いったんがフィラリアの手術をしたのは多分いったんが5歳くらいの頃。 私が13歳位の頃やったかな? 今からもう20年以上前の事やから、はっきり年数を覚えてないわ。 ごめんな。 当時小学生やった私は犬の事は良く判ってるつもりやったけど、実際は何も知らなかったな。 病気のこととか、餌のこととか。 バイトでお小遣い貯まったら、ビーフジャーキーとか犬のおやつ買ってあげるくらいで、ペットフードとか薬とか、検査とかの知識もお金も持ってなかったし。 フィラリアなんて、そんな病気があるなんて全然知らんかったわ。 今ではフィラリアは治る病気になったんやって。 あの頃は、まだ無理やったな。 もし治る病気やっても、健康診断とか血液検査とかせえへんかったら手遅れになるから、一緒やったかもしれへんね。 お正月に高松のおばあちゃんの家に帰省してる間、いったんは3日くらい一人で留守番してくれたよね。 家に帰って来て、一番初めにした事はいったんの散歩やったんやけど、いったんが赤いおしっこしたの見て、びっくりしてすぐにまた連れて帰って、天野先生に慌てて電話したな。 先生が「今すぐ連れてきてください」って言ってくれはったから、連れて行ったら、手術しなあかんって言われて。 先生からフィラリアっていう糸みたいな虫が大きくなったのが、血管に詰まってるから、それを手術で取り出さなあかんって言われて。 家は金持ちじゃなかったし、お父さんとかお母さんに頼んでも犬の手術なんかいらんって言われるから、うちの貯金とその年に貰ったお年玉全部使って先生に手術して下さいってお願いしたんよ。 いったんが死んでしまうなんて絶対嫌やったから。 手術が成功して、いったんが家に帰って来てくれてめっちゃ嬉しかったわ。 もうこれで大丈夫って信じて疑わへんかった。 先生に予防しなあかんって言われてからは、夏になったらお薬貰ってきて飲ませてたけど、うっかり忘れた事も何回かあったな。 いったん薬嫌いやったし。 私も上手く飲ませる事出来ひんかった事もあったし。 それから3〜4年位して、散歩の帰り道、一緒に走ってたら、あともうちょっとで家に着く直前に突然いったんが道に倒れて。 びっくりして、またすぐ天野先生に電話したんやけど、今度は手術出来ひんって、、、 前に手術した時にまだ幼生やったミクロフィラリアって言うのがいったんの体の中に残ってて、それが大人になって、また血管に詰まってるって言われた。 あの頃の私は何で手術が無理なんか判れへんかったけど、今ネットとかで調べたらなんとなく理由は判った。 フィラリアの成虫は心臓に寄生してしまったから、いったんは貧血で散歩の帰り道で倒れたんかな。 日に日に弱っていくいったんを見ながら、それでも生きようと頑張ってくれてたし、私も何がなんでも生きてほしかった。 私はまだ子供で、一杯嫌なこととか辛いことがあって、いったんがおらへんかったら一人では乗り越えられてへんかったと思う。 辛い思いさせたなぁ。 腎臓も悪くなって、尿毒症になって体中が浮腫んで。 お水を飲んでも飲んでも喉の渇きが納まらへんかったのか、バケツ一杯飲んでもまだ水欲しがって。 見てるのが痛々しくて、水飲んだらお腹がパンパンになって苦しそうやから、飲ませへんほうがいいんかなって思ったりしたけど、止めさせるのも可哀相で。 安楽死も考えた。 その方がいったん苦しまなくて済むかもって。 でも、出来ひんかった。 私のエゴかも知れへんけど、苦しませるだけかも知れへんけど、1日でも、1秒でも私のそばにおって欲しかった。 今は天国で、痛みとか渇きとかからは解放されていて欲しいです。 いったんはいい子やったし、宝塚でちゃんとお経も上げて貰ったから、大丈夫やんな。 うちの面倒見てくれて有難うな。 子供の頃は何回も死んでしまいたいって思ってたけど、いったんがおったから今までやって来れたんやで。 ほんまに、有難う。
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