獣医師広報板ニュース

動物の愛護掲示板過去発言No.6000-200107-87

やり玉に挙げられた張本人です。
投稿日 2001年7月16日(月)00時49分 Burny

みなさま、こんにちは。
こちらでは初めてご挨拶させていただくことになります。

すでに私のテキストを読んで呆れている方が大多数ですから、私の言うことはかなり偏っていて、読む方によっては不快感を与えてしまう場合もあることを最初にお断りした上で書き込ませていただきます。

まず、多くの方がおっしゃられる「なぜこの場でハッキリ意見を言わないのか」ということについてです。
端的に、過去のやりとりを見る上で、お互いがお互いの揚げ足取りをしているに過ぎず、ではこうしましょうという建設的な意見を述べている方はごくごく少数で、私のような偏った人間が意見を呈することはさらに火に油を注ぐことになり、問題は収束しないのではないかと考えたからです。

次に、友恵様の「勝手に引用されてネチケット違反ではないか」という点についてです。
友恵様がこちらで報告された事項(老兄弟が猫の虐待をしている)は、今まさに起こっている事実であり、これは誰かの創作ではないことから、ニュースとして引用いたしました。
報道、批評、研究などの正当な目的のために、その目的上特定の範囲を引用する必然性があるとき、引用元の記事等を使うことは著作権法上認められた「引用」とされます。
引用部分の著作権の主張をすることは望んではいないので、公の場所に出た文書の引用は認めていただきたかったのですが...。

それから、miraiさんと「同志」であるという表現から。
私自身は、miraiさんと似たような考え方ではあっても、全く同じ考え方ではないなと言うことを自覚しています。
私のテキストの中で、「野良犬・野良猫は保健所に処分されても仕方がない」ということを書いています。
今まさに、こちらの掲示板は荒れている状態になるわけですが、どうか「あっち側」「こっち側」というような考え方をしないでいただきたく思います。
異質な意見が呈されたとき、過敏に反応してそれを排除するばかりでは、別の意味で歪曲した思想が精錬されていくだけの場になってしまうはずです。
確かに、投稿者ごとに言葉に角の立つところはありますが、もう少し懐の広いところを見せてもいいのではないでしょうか。
こちらの掲示板は、動物愛護というテーマで議論されている掲示板としては押しも押されもせぬ場所だと思っています。そのような有意義な場所が、私のような浅知恵な若造の意見で雰囲気が悪くなってしまうのは本意ではありません。


以上のような、言い訳じみたことばかりを書いていてもそれこそ非建設的なことなので、恥さらしついでに私の生命についての考え方も書いてみたいと思います。

まず、生命があるということは、それ自体が素晴らしく、そして何にも増して尊いということだと思っています。
そして、生命にはどちらが優れ、どちらが劣るということは全くなく、基本的に平等だと思っています。

けれどその上で、どの生命も、直接的にせよ間接的にせよ、およそ他の生命を犠牲にすることなく生きているものはいないと言っていいと思います。
たまたま、高度な文明を手に入れた人類は、まさに生態系のピラミッドの頂点に位置し、基本的に他の生命を数多く犠牲にすることを宿命づけられた、呪われた種族だと思います。
だから他の生命に対しては何よりも敬意を払わなければいけない。しかし種の繁栄を維持するためにはその生命の犠牲を肯定しなければなりません。
イヤな言葉ですが、必要悪という言葉があります。
けれどもあえて必要悪を繰り返さない限り人間は(もっと生々しく言えば今の私たちの生活や文化や富は)維持できないのだと思います。
私たちが、私たちの感覚で「幸せだ」と思えることを維持するために、です。

野良犬が、野良猫が、保健所職員の手で絶命させられます。
命は尊いもので、存在自体が奇跡です。けれど、人間はこれを自分たちの社会生活のノイズであるとして除去します。
悲しい事実ですが、私たちの社会生活を維持する上では仕方ないこととして、この仕組みは必要なのだと思います。
「野良」とは、人間の管理範囲外であるということから、人間社会で生活する動物に対して人間が貼るレッテルです。

立ち返って、鳩を飼育する老兄弟のケースはどうでしょうか。
私は、幸福生活維持システムの影響範囲が「老兄弟の敷地」なのか、「日本国」なのかの違いだけではないかと考えました。
もちろん、個人の敷地内であればどんな犯罪行為も肯定されるのかということを言いたいのではありません。
国には法律があります。そこで生活する大多数の人間が最低限の幸福を得るために定められた最大公約数のようなものです。
老兄弟の場合は、お二人で考えた幸せがあり、そのルールを適用しているということです。

幸せだと感じることには、安定した生活を送るということの他に、愛するということも含まれていると思います。
自分が愛おしいと思ったものに愛情を注ぎ、愛するという行為自体で幸せになり、愛した対象が自分に愛を向けてくれればさらに幸せは膨らみ、愛は深まるものだと思います。
保健所によって殺される犬が可愛そうだと思う方。老兄弟が捕らえた猫を惨殺することを可愛そうだと思う方。みなさん、愛を与える範囲が大きい方なのだと思います。
それは必要悪だという風に放っては置けない、大きな愛情を持った方たちなのだと思います。
一方miraiさんも、犬にとっての本当の幸せとは何かを、真剣に考えていらっしゃる方だとお見受けしました。

私自身、犬も猫も大好きです。でも、犬は飼育していません。
一緒に散歩したり、共に生活することで励まし合って愛を与えあえたらどんなに素晴らしいことか...。けれどそれは叶いません。
私が働きに行ってしまっている間、犬が望むように餌をやったり散歩に連れて行ったりすることが時間的制約があって不可能です。他人に世話を頼むということも経済的な制約があって困難です。
ひとりぼっちで留守番をしている犬が、どんなに寂しいだろうかということを考えると、とても自分の愛の満足感を得るためだけの対象として小さな生命にストレスをかけることなどできません。
ですから、ペットショップで石になることはあっても、グッと我慢して購入することはありません。

各個々人において、幸せだと思うことも、愛し方も、人それぞれ差があることですから、他人の愛し方について否定を繰り返すこともないのでは、と思います。
ただ、愛し方においてのルールはあると思います。
自分のやり方やルールを相手に強要し、愛し愛されることを強いる関係は成り立たないだろうということ。
見返りのない無償の愛を相手に与える前に、その愛は相手にとって迷惑ではないだろうか...。そのようなことを考えること自体、自分自身で自分の愛を否定するような行為で少々辛いことですが、まずそこから考えてみるというのもいいのではないかと思います。
http://www.c-5.ne.jp/~satou/labo/dou_aigo.htm

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