動物の愛護掲示板過去発言No.6000-202111-293
Re:<松戸署の大型犬射殺>苦情や意見で電話回線パンク |
投稿日 2015年9月17日(木)11時21分 投稿者 プロキオン
13発発砲ということのようですが、クレームを入れてくる人達というのは、この13発の意味が理解できているのでしょうか? 簡単に言えば、命中しなかったということになるのではないでしょうか。動く標的に対しての射撃訓練まではしていなかったでしょうから、致し方ないと言えば致し方ない。 射殺というのは、欧米では安楽死の範疇に入りますから、必ずしも残酷な方法とは言えないと考えられますが、こと日本においては「射殺」がいかにも残酷なことのように受け取られています。それはギロチンが残酷と考えられているのと似ています。 ギロチン以前は、剣や斧で何回もきりつけて殺すという処刑方法だったのですが、これはしばしば容易に絶命することができず、処刑される人間が立ち上がって処刑人に詰め寄ったというような例さえ存在します。 話が横道にそれますが、これは17世紀後半のモンマス公爵の処刑が有名です。公爵は謀反を問われて処刑となりますが、斧の一撃では首を落とすことはできず、彼は立ち上がって処刑人を睨みつけて詰め寄ったようです。その後、公爵は再び腹ばいにさせられて2打3打と斧を振り下ろされましたが、絶命することはできず、処刑人は斧を放り出して泣き出しました。 それでも処刑は実施されなければならず、死刑の見物に訪れていた群衆に罵倒され処刑人はこのまた斧をとって2打あびせましたが、それでも駄目でついにナイフを首に当ててごりごりとやったとあります。この時の処刑人の名前も後世に残されてしまっています。 日本でも、切腹の際に介錯がありましたが、こちらとて、介錯人のそれだけの腕前がなければならなかったはずです。 フランス革命では、血の粛清の嵐が吹き荒れましたから、死刑に手間取るよう事がないように間違いなく簡単に絶命させることができるようにギロチンが考案去れる至りました。すなわち、ギロチンは安楽死のための道具なのです。 命を絶つことが悪事ではなく、不必要に苦しみを与える事が悪事だという考えなのです。一方、我が国では「命を絶つことの穢れ」という概念がそれこそ聖徳太子の時代から存在していて、これがまぜこぜとなってしまっているようです。 殺されるものに対して可愛そうという気持ちまでは良いのですが、その殺されなくてはならないものによる被害者への視点がついつい欠落しがちです。自らを穢れから遠ざけたいがゆえに一段高い視点からしか考えようとしません。 私の県でもつい何年か前に逃げ出した犬が老人を噛み殺すという事件がありましたが、この時には飼い主が犬を捕獲して処分の運びとなりました。人間を噛み殺した犬が、捕獲もままならず周辺を徘徊していたとしたら、「さっさと捕獲しろ、それができないのなら見つけ次第射殺しろ」という声になっていたかもしれません。 今回の事件においても、当該犬はたびたび問題を起こしていたようですし、犬がいなくなってホッとしたいうことはありそうです。13発という数字を聞いて、「命を絶つことの穢れ」から身を遠ざけたい気持ちの人にとっては、残酷とかひどいとか可愛そうという意見になってしまったように思います。 弾は当たらなければ目的を果たしませんので、当該犬に命中した弾の数というのがキーポイントになるのではないでしょうか?
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