ハッピーもう一度歩こうね

ハッピーと会ったのはハッピ-が10歳の時でした
ハッピーは色々手術をした後に、頚椎に先天的な異常があったので(後で判ったのですが )
そこに負担が来て動けなくなってしまいました
大学病院へ来た時には全身麻痺で動く事が出来ませんでしたが
飼い主さんは一生懸命でした
何ヵ月も通う内、やはり経済的にも苦しいですし 御主人からはもう諦めるようにと言われ ていました
奥様はあといくらも持たない状態になっていたハッピーを諦めました
そして、身体は献体すると言う事になりました
入院しているハッピーが安楽死だと言う話は世話をしている学生達には辛いものでした
学生達から話を聞いて、入院室にハッピーに会いに行きました
食べてもすぐ吐くし、もう骨皮筋子でした
最後に好きなものを食べさせてみようとジャーキーをほんの少しあげました
ハッピーは夢中で食べました
その食べ方を見て???と思いました
まだ大丈夫、そう感じました
飼い主さんと担当の先生にあと少ししかもたないのなら私に天寿を全うするまで預けてくれ ませんかとお願いしました
体重も2キロあるかないかですから私でも連れて帰れるしと思いました
どちらもそれで良いのならと私に預けてくれました
寝たままの姿勢でないとチアノーゼを起こすので、戸板に載せる状態で電車で連れて帰り ました





右半身硬直、左半身麻痺状 態で、手足は冷たく、肉球は象皮のように深い溝が出来、ゴワゴワでした、何時も右側を下 にしないと呼吸が出来ませんでした
人間のむち打ち症の時使うよう な物を色々作ってみました。
手足が動くようになったのは預かってからかなり月日が経ってからでした。
左の写真とこの写真はハッピー が、首が、手や足が、動かせた証拠に写しました。
先生方が信じてくれなかったので。
時々首を自由にしますが、これ を取ると360度首が回ってしまうのです(自分では全く支えられなくて)

一日中触っている時は手足に血液が流れるようマッサージをしていました
食事は少しづつ、食後は身体を立ててゲップが出るまで 軽くたたいていました(人間の赤ちゃんと同じね)
それが効いて、その後ハッピーは一度も吐きませんでした
食べる物が入れば、元気は出て来ます
入る物があれば、必ず出る物もあります
ハッピーは躾が良かったので元気が出てくるとおむつに出てもそこを避けたいと思うようで した
動物は人間が無理にしなくても自分で身体を正常な状態にしようと本能的に努力します
それが良い時もあれば、して欲しく無い時もありますが、ハッピーはその為にも動きたがり ました




ハッピーは動けなかったので今 では色々ありますが、人間のだっこ紐を使っていました
動けないので、仔猫達は温か いとハッピーにくっついて寝ました(これはココちゃんが赤ちゃんの時)
ハッピーは猫にくっつかれるの は嫌なので「どけて〜〜〜」と言っていました。
(ほうづきちゃんと)
必ずまくらを当ててこの姿勢が 一番楽でした

ハッピーを連れて大学病院に通いました
1日置きに行っていたので、ハッピーを連れて行く時はケ ージを持って
    料金を払って、そしてハッピーはだっこでした
「この子は全身麻痺でこの子の首は今ガラスの首で、ちょっとでも変に動かすと死んでし まうのです
これから病院へ行くのですが(嘘ではない)ケージに入れられない状態なんです」
そう言って、だっこで行きました
駅員さんは「早くケージに入れられるようになると良いね、それまでは良いですよ」
って言ってくれました(何処かの駅とは大違い)
先生方は「途中で会っても、知らん振りするからね」
と言われる程ひどいスタイルでした(^^ゞ
でも、ハッピーを置いて来る事は出来ませんでした
その頃、まだ車の免許持っていませんでしたので(^^ゞ
「赤ちゃんですか」っておくるみの中を覗いた人も「あら、犬?」ってびっくりされた事もしば しば
その度に「全身麻痺で病院へ通っているもので」って言っていました(^^ゞ
病院では外科の研究室の机の上に浅い箱を置き、そこにハッピーを置いて病院に出て いました
学生達がその間は見ていてくれました





やっと立てた\(^O^)/
座っちゃった
ア〜、手が滑っちゃう
運動してくたくた

お水が飲めるようになり、食べ物の所まで行けるようになってからは
ハッピーは私が出かけている間は留守番出来るようになり ました
吠える事も出来るようになりました
トイレに下に降りるようになりました






お水が飲めるよ
後ろ姿
食事も回りに置いてあると食べる よ
トイレが済むとエイッと帰れるよ

ハッピーは家に来て、4年頑張りました
動けない時から、ハッピーは何処に行くのも一緒でした
北海道に行く時は飛行機でどうしても座席に入れられず貨物の方で行った事があります
行きは引き取る時、前後がひっくり返っていたので、良く無事だったと冷や汗が出ました
帰りは年の功か、慣れていてそのままの形で出て来ました(^^ゞ
息子が北海道にいたので
息子の車で東京から八戸まで行き、十和田湖やあちこちを見て、フェリーで北海道に行 ったり
ハッピーは沢山の観光をしました
軽井沢、群馬、伊豆全て一緒でした







首がぐるぐる回っていたのが
自分で支えられるようになり
行きたい所へヨチヨチでも行け るようになり、わざわざ寒地の前に行ってはここは私の部屋よって威張っていました(^^ゞ
4年間何処に行くのもいつも一 緒

ハッピーは腫瘍が再発していました
でも、もう手術は出来ないし、必要無いと思いました
14年の寿命は徐々に近づいていました
天寿を全うさせたいという気持ちでここまで生きて来たのですから
ハッピーはきっとこの生き方を許してくれると思いました
眠っていると段々と息が止まってしまう事が繰り返されて来ました
首に異常があったので、神経が影響を受けてきていました
それでも、つい蘇生してしまい、気が付くと好きなものを食べるのです
トイレもそこでして良いと言ってもどうしてもトイレに行くと言うのです
トイレの途中で発作を起こす事もありました
それでも蘇生してくれました
最後の直前も少し食べました
それが胃まで行った頃 最後の発作を起こしました
「ハッピー、もう良いよ、ゆっくり寝なさい」
蘇生はしませんでした
この子が最初の発作を起こしてから20日めでした

ハッピーが発作を起こし始めてから
少しでも安らげるようにと音楽をかけていました
それが グノーの「アヴェ マリア」です
この音楽を聞くと涙が溢れて来ます
注:バッハの平均律一番プレリュードを使ってグノーが「アヴェマリア」という曲にしたもので す
その後私の卒業した学校の同窓会で
この曲がイメージソングになったので
毎回涙が出そうで困ります


泣き虫wakoは今まで、この事を話せませんでした
あの頑張り屋のハッピーはとても大きな宝を私の心に置いて行ってくれました
獣医師のすてまるは医学的にハッピーを献体しました
終わった後は全て私の元に帰って来ました
ハッピーは今私と一緒にいます



♪グノーの「アヴェマリア」は♪ぴあんの へや♪からお借りしました♪

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