災害と動物掲示板過去発言No.0700-201107-7
雲仙普賢岳の火砕流から20年 |
投稿日 2011年6月4日(土)09時55分 投稿者 プロキオン
91年6月3日に雲仙普賢岳の火砕流が発生して、現地入りしていた報道関係者ら43人の方が亡くなりました。この日から20年の歳月が経過しました。 この6月3日と今日の4日とは、私の中では対になっていて、6月4日の事件も忘れることはできません。この日は、北京の春、天安門事件の日です。天安門事件というと、戦車の前に1人の男性が立ちはだかって、その進軍を止めたことで有名です。でも、私にとっては、暗闇の中から響いてきたラジオが、「私達がここにいたことを忘れないで下さい」という声がとくに印象に残っています。 今まで、そこに居た存在がいなくなっていく際に「忘れないで」と言っているのですからね。 火砕流の方は、別冊「フォーカス」(廃刊版)の中で、わざわざコラムの欄を設けて、この件に触れています。 現地で連絡の取れなくなったカメラマンの救出を兼ねて、現地入りした報道関係者達と連絡が途絶え、さらなる火砕流が発生したという一報が入ったため、編集部は騒然となった。会議では「暴挙だ」「スタッフの命をなんだと思っているのか」という意見が噴出したとあります。追悼記事における当時の編集長の言葉にも、報道と現場での狭間で揺れる思いが記されていたようです。 コラムの最後は、次のように結ばれていました。 「生命の危険と隣り合わせの、きわどい現場。と言って、安全をはかるのが取材の大前提、なんて建前論議はあまり役に立ちそうも無い。報道する側として、この問題への完璧な回等は、結局出しようがないのかもしれない。」 本当は、このコラムの全文をそのまま掲載したいところです。当時の編集長の言葉にしても、それを欠いていては、結びの言葉の意味が理解できませんから。 今度の東日本の震災においても、やはり、当時と同じように現場に飛び込んでいく者達はいたし、これからもいるであろうと思われます。 現場の責任と編集部の責任は、同じではない。同じではないが、編集長も現場の記者やカメラマンの心情や心意気が分からないようではならない。やはり、誰しもが納得できる回答というのは、今もって出せないでいるということになるのかもしれません。
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