災害と動物掲示板過去発言No.0700-201110-23
10月26日 |
投稿日 2011年10月1日(土)12時08分 投稿者 プロキオン
この日は、「原子力の日」ということになっています。核物質を巡る様々な法律がありますが、もっとも基本とされるのは、「原子力基本法」です。この原子力基本法の根底にあるのは、原子力は「平和利用」を目的としなくてはならないということと、その目的のために、「民主・自主・公開」が大原則とされています。 この大原則がどうも忘れられていたような気がします。「公開」が皮肉ではなく「後悔」のように思えてなりません。 この掲示板おいても、福島第一の事故当初、プルトニウムが原子炉外に出ていることが私にはとても気にかかることでした。プルトニウムが外部に出ているということは原子炉だけでなく、炉心にあるはずの核燃料の状態も心配しなくてはならないからです。 しかし、当時においてもプルトニウムが検出されたのは、発電所敷地内だけなのだから、私の発言は不安を煽るものというような意見もありました。 あの爆発規模でしたから、発電所敷地内だけにおさまるとも考えられませんでしたが、周辺でも検査がおざなりとなっていました。それが、事故後半年を経てやっと周辺におけるプルトニウムの検出が報道されました(同時にストロンチウムも)。 プルトニウムは、人間の生活環境にそのまま放置していてよい物質ではありませんから、検査範囲を拡大していって、回収に努めないとなりません。 なぜ、原子炉で起きた事を過小評価しようとするのでしょうか? 放射線の管理に関する雑誌に金沢学院大学の学長をされている方が、「原子力の日に思う」という文章を寄稿されていて、その中で「原子力委員会」の設立経過に触れておられますが、 「原子力開発利用の初期に責任ある立場にあった方々は、制度面でも運用面でも、原子力は一般的な仕組みで扱いうるような分野ではないとはっきりと認識されていたということである。」と書かれています。 「研究開発と利用の拡大とともに、通常の分野、通常のエネルギー源という位置づけが色濃くなり、特別な努力を必要とする分野と言う意識が希薄となって、それが、今回の大事故の背景をなしたように思えてならない。」と続けられています。 人類とまで広げなくてもよいのですが、日本人が一度手に入れた「原子の火」を捨てる事ができるか否かということになると、個人的には懐疑的とならざるを得ません。むしろ、閉ざしてしまうと目に触れないところで、どのような事になるかの方の不安が大きいと考えています。原子力基本法の「公開」の大原則に、今一度立ち返って貰いたい気持ちが強いです。 それにしても、検出されたのが飯館村とのこと、牛のことで取り上げられたこの村にしても、ちょっとした風向きによって大変な事になってしまい、村民の背負わざるを得ないものが大きすぎて、気の毒に思います。
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