平成17年度、社)東京都獣医師会・動物飼育作文コンクールより
字数制限・1600文字
入賞作品
飼育を教科に位置付けている小学校の子の作文
飼育活動が盛んな学校の子の作文
入選
移動動物園活用をしている学校の子の「動物飼育」作文
●どうぶつ 6年生
昨日僕の学校に移動動物園が来ました。正直いって僕はマンションに住んでいるせいか
動物とふれ合う機会がありません。「見る」ということはありますが「ふれ合う」といった事は
幼稚園の移動動物園以来の気がします。僕は最近動物の病気がはやっているので動物に
あまり近づきたくないと思っていました。しかし昨日短時間でしたが動物とふれ合うことになり
ました。そしてウサギをだこうとしたりヒヨコを見たりしました。すると不思議なことに心がだんだ
んと和みヒヨコの目などの可愛らしさにひさしぶりに気付いたのです。このような事は時々あり
ます。例えば祖父母の家に遊びに行った時そこで飼育している金魚を観察したり、えさをあげ
たりします。すると金魚の意外な一面(この金魚は目のあたりにほくろのようなものがあるとか、
腹を上にむけて泳ぐなど)を発見し妙に親近感をもったりしてしまうのです。他にも学校で亀を
飼っているのですが僕にはいつも同じ事をしている生き物にしか見えませんでした。しかし秋に
なり冬に近づくにつれて、まるで寒さをしのぐかのよう、せっかくの箱庭風の石をかたむけ、その
下にもぐりこむことが増えてきていることを発見し、「亀も亀なりにがんばっているなぁ」と感じ亀
が愛らしく見えてきました。
この様に動物は人間の心を豊かにしてくれると思います。また人間もそれを必要としていると
思います。人間は科学の発展のためにずい分動植物を犠牲にしてきました。ですから動物が病気
をもっていても犠牲にしてきた動物を今こそ科学の力で保護していくべきだと思います。
● 無題 6年
ぼくは、もともとかわいい動物をさわってみたりすることが好きでした。だから今日はいろんな動
物をさわれると聞くととてもうれしかったのです。そしてその動物たちはかわいい動物たちばかり
でした。そこでぼくは感じたことがありました。それは何かというと今まで動物をさわる時は1種類
ばかりだったけど、今回はいろんな動物をさわったことにより、全ての動物達の1コの命の重さは
すべて等しいということです。つまり全ての生物は差別されることはないということです。
ぼくはこの考えにより動物たちがもっとすきになってしまいました。ぼくが今日さわった中で一番
好きだった動物はヒヨコです。なぜかとうと小さいので赤ちゃんみたいであるというイメージをもって
いたからです。ぼくは今飼育係をたんとしています。ぼくは今回の移動動物園でいろんな動物をさわ
ったことにより飼育係としての志というものがかわってきたような気がしてきました。ぼくは最高学年
としてこの気持ちを5年生たちにめいっぱい伝えたいです。話がもどるのですが動物が好きなのは動
物たちとたわむれていると何か心がいやされるような気がするのです。ぼくは動物にはこんなような力
があるんだなと思いがしてしまいました。この動物にいやされる気持ちも5年生たちに伝えていきたい
と思います。
● 「田舎ねずみと都会人間」 6年
近頃、テレビなどでねずみを問題にした番組を放送していたのを見た事があります。人間の作ったコー
ドをねずみがかじり回路がおかしくなってしまうそうです。しかし、ここで考えて下さい。ねずみは悪気があ
って、コードをかじるのでしょうか。決してそうではありません。ねずみはこの奇怪な長いものがなぜあり、
何に使われているかなど知りません。それは大人も考えているのではないでしょうか。しかし、今の効率優
先のような社会では、コードを直したり、ねずみがかじっても、跡がつかないコードを作るのは時間の無駄な
のでしょう。それで、ねずみが悪い、ねずみはいらないなど言っているのでしょう。
もちろんかじるのはめいわくです。だからといって、殺すのもどうかと思います。もしかしたら、殺すのはコー
ドのせいではなく増えすぎたからだという人はいるかもしれません。
しかし、増えすぎた原因は人間です。人間の出す生ゴミのおかげです。もう少し適切な処理が行われてい
ればエサが減るので少しは自動的に減ります。つまり、のんびりした田舎ネズミは、せかせか生きる都会人
間のじゃまをしようとはしていないのです。ただ都会人間にとってのんびりが理解できず、田舎ネズミをじゃま
にして、理解できずにいるのです。
全国学校飼育動物研究会 学校飼育動物を考えるページ