災害と動物掲示板過去発言No.0700-201110-25
Re:福島での殺処分の牛について |
投稿日 2011年10月11日(火)11時44分 投稿者 プロキオン
>素人には判別不能なのですが、麻酔を使った方法で、このような死骸になるのでしょうか? 写真を掲載してるブログにも書かれているように、「苦しみながら死んでいった」ように見えてしまうのですが。 画像に写っている姿は、単純に「死後変化」の姿です。もっと分かりやすく言えば、死体が腐っていく過程において、体内で腐敗性の細菌が繁殖してガスを発生して、死体が膨れ上がっているステージということになります。 その時に、ガスが出口を求めて膨張しているので、口腔とか肛門とか消化器の末端を押し出そうとしているところです。 麻酔薬の使用の有無は関係しません。死体をそのまま放置していれば、みなこのようになるので、別に獣医師でなくても家畜を扱っている農家であれば、知っています。 牛や豚、そして鶏等、食肉にしようとすれば、まず絶命と同時に血抜きが行われます。血液が最も早く傷みやすいからです。これをしないと血液が多いところから肉が傷んでいって食肉として利用できなくなります。肉畜を扱う者なら、誰しもこの画像のようにならないように急いで血抜きをして、冷温処理にもっていくことを知っています。 鶏インフルエンザでも、口蹄疫でも、深い穴を掘って死体を処理していますが、あの土の中ではみなこのようになっていますし、ガスによって死体が土を押し上げて持ち上がってこないだけの深さが必要なのです。 で、この後、さらに腐敗が進行して、皮膚が溶けてガスが噴出してきて、融解してしまった内臓や消化器が噴出して周囲へと撒き散らかされます。そのために、死体の上に石灰を厚く散布しているわけですし、埋却した土地を掘り返さないようにと言う指示となります。 この埋却処置は、実は日本のように国土が狭くて地下水が地表に近い土地には適しておりません。そこで、ブルーシートで包み込むようにしているわけです。 このシートも、汚染物を地下で広げないようということと、汚染物が腐敗してシートの中のPHが病原体の生存に適さないまでに進む事も期待されているようです。 私達、街の臨床医が1人で動物をコントロールしようとしても、おそらく体重20キロくらいの犬までではないかと思います。それ以上に大きくなると、とても1人の力ではコントロールできるものではなく、犬も人間も危険な状態となります。 まして、その対象が牛となると、少しばかりの人数では手に負えません。とにかく暴れさせないにつきます。漫画「動物のお医者さん」の中にも、牛に足を踏まれて下手に足を抜こうとすると骨折するので、そのまま踏まれていろ、というシーンがありますが、骨折はしないまでも、結構痛いです。蹴られでもしようものなら、相当の期間青痣が残ってしまいます。 牛のあの体重というのは、やはり半端なものではなく、苦しみもがいて暴れられたら、人間はもう逃げるしかないのです。巻き込まれたら、無事には済まないのですから、関わる者は最初から最後まで「暴れさせない」につきるのです。ですから、「暴れない」ための方法は一生懸命に探しますが、わざわざ苦しませて暴れさせるような方法を採る必要がどこにもありません。 それに、もがき苦しませる処分方法というのが、実施する者にとって、どれだけひどいものであるかを考えていただけないでしょうか。 殺処分を実施する者にとっては、苦しまずにストーンと死んだというのが、唯一のなぐさめであり、救いなのです。苦しませて死なせたという書き込みは、殺処分に携わった人達を傷つけることになると思います。 後味の悪い仕事ですから、誰しも望んで実施しているわけではありません。 愛護を口にする人達というのは、殺処分を忌避するあまり、それに携わった人達まで傷つけてしまうから、行政から遠ざけられてしまう原因にもなっているのではないかと私は考えています。 渡辺眞子さんの「小さな命を救う人々」という著書の中でも、「自分のペットを保健所に連れて行き、他人に処分させるような飼い主を吊るし上げたい」と語気強く涙声で語った職員の言葉とか、愛護団体からガスではなく1頭ずつの注射による処分を申しいれられた職員が、「こっちの神経がもちませんよ!」というくだりがあります。麻酔薬を使用すれば安楽死であるということではありません。現実には、犬に酔薬をどうやって注射するかという問題がありますから、1頭ずつ何回も繰り返すことの精神的なストレスは相当なものとなります。 命が交錯する現場にいる者にとっては、観念的な安楽死というのは、意味がないと思うのです。どれだけ手際よく事を済ますことができるのかが、動物にとっての思いやりなのだと思います。 このような問題というのは、動物の死を経験する機会が減ったからだけなのでしょうか? 私が小さい頃には、使用されてはいませんでしたが、「馬捨て場」というのがありました。死んだ牛や馬は、そこに捨てられていたという名残でしたし、へい獣処理に関する法律ができて使用されなくなっても、犬や猫の死体をそのような場所に持っていかれました。実際、動物の死体を目にする機会というのは減ってきてはいるのですが、自分の飼育している動物が永遠に生きつづける訳もなく、必ずやその死に遭遇しているはずなのです。 死体がガスで膨張するまで見ていろと言っているわけではないのですが、死の穢れを必要以上に忌み嫌っている傾向があるように思います。自然界においては死も必要な要素であって、それで成り立っている面もあります。 今回の牛達の死は、その原因が人間がもたらしたものではありますが、土に還っていくその過程においては太古の時代から繰り返されてきたものと同じものですね。
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